4月1日は入社式を行いました。
ajike にもこの4月1日に新卒社員が入ってきてくれました。
彼らが活躍してくれる事を期待しつつ、また一流のクリエイターになってもらうためにマネジメント層がどういうアプローチをしようかと思案のしどころだなと思っております。
ajike は現在8期目の第2クオーターです。
自分たちはベンチャーだと。
社会から見ると本当に未熟で小さな存在なので、そんな我々がどうやってパフォーマンスを高め社会に貢献していくのかと意気軒昂、仕事に励む毎日です。
ただ、それなりに年を重ねてきていることも鑑みるといつまでも「未熟」とか「ベンチャー」というキーワードに逃げてばかりではいけないなとも思います。
第2創業期として、新たな組織を創りあげていくために新しいスタッフも共におもしろい会社を作っていきたいと思います。
さて、入社式では大きく3つのことをスタッフに話しました。
話したことを記録しておくために文章にも残しておこうと思います。
- なぜ会社を起ち上げたか
- 仕事とはどういうものか
- どういう人を評価するのか
なぜ会社を起ち上げたのか?
最近、よく思い返します。
少しずつスタッフが増え、自分自信が将来を見据えて説明し続ける必要に駆られることが多くなってきたからです。
自分は小心者で心配性です。
常に危機感を感じて、プロジェクトが無事に進んでいるのかお客様に迷惑をかけていないのか?もちろんすべてのプロジェクトを事細かにケアできることはもうないのですが、社内の連絡網ややりとりを見ているときに、お客様を含め社内への配慮を欠かさないように心がけています。
社長業というのは簡単に見えるかもしれませんが、嫌なこと半分、おもしろいこと半分です。
そして、その嫌なことに直面しているときよく、そもそも自分はなぜこの会社を起ち上げたんだっけ?とか何を目指して社員を雇っているんだっけとかを思い出します。
嫌なことがあった時はこういう自分のなかの原則みたいなものに立ち返ることは意外と大事だなと思います。
もちろん、設立当初に想定していた仕事や想定していなかった仕事、そして結果そうなってしまった仕事があって今があります。
前置きが長くなりましたが、会社を起ち上げた理由というのはコミュニケーションにアジケをつけるという仕事をやりたくて今の会社をつくりました。
コミュニケーションにアジケをつけるというのはどういうことか?
これは期待を少し上回る品質を提供することで、周りをワクワクしたり便利にしたり生活を豊かにすることを目指しております。
コミュニケーションは時代によって形態は異なりますが、その普遍性を軸におきながら変化に適応していくという生物の生存行動に近いものが好きだからこの仕事をしているんだと思います。
そして、こういう仕事が好きな人や興味がある人たちとおもしろさを共有しわかちあいながら、社会で役立ててもらえるようなものをを少しずつ広げていければいいなと思って会社をやっております。
仕事とはどういうものか
新しく入ってきた人は当然ながら新人です。
そして、新人の多くは自分のやりたい仕事ができません。
自分のやりたいことが仕事としてできている人、もしくはできる人は既に独立しているかいっぱしのプロなので新人という枠ではないのだと思います。
以前 WEB の記事を見ていたら”3年の下積みなんて馬鹿げている”という論調が共感されて広がっておりました。
それは価値観なので、そう思って行動する人もいるしそう思わないで行動しない人もいるでしょう。
大事なのは、その言葉にとらわれてしまって自分の立ち位置を見失わないようにすることだと思います。
新人の人には誰にでもできるような単純な仕事をお願いします。
なぜ単純な仕事になるのか?
それは、プロジェクトという性質を考慮するとイメージがしやすいかもしれません。
プロジェクトを完遂させるためには細かなタスクが積み上がっており、上司なり先輩がそのタスクを新人の人にでもできるように分解してくれているからです。
例えば、お茶をいれたことがない幼いこどもに「お茶をちょうだい」と言っても、おそらくできないでしょう。
・コップをとって。
・台所にいくとやかんがあるよ。
・そのやかんには今お茶がはいっているのでそこから入れてくれればいいから。
という行程があるように、お茶をいれた経験がある人は未経験の人ができるように仕事を細かく分解して渡すのです。
とはいえ、君たちはもう大人です。
例えば「資料をエクセル表に埋めてくれ」
という仕事を依頼しても、誰がいつどのようなシーンで使うと便利かな?わかりやすいかな?とか考えながら、時には質問しながら仕事を完遂する人は信頼ができる人です。
仕事は自ら進んでするものだという表現がありますが、言い換えると仕事は与えられるものです。
与えられるというのは”信頼”をしてくれることです。
その信頼にしっかり応える、期待を少し上回るものを提供する。それが仕事をするということなのです。
職業人として社会に適応するというのは選択や好みで仕事をすることではなく人から頼まれた信頼に応えるということが大事だと思います。
もちろんやりたい仕事があって、サービスなり仕組みを提供する場合でも同様で、人から信頼を経ないとその仕事は成立しないでしょう。
仕事はこういう人と関わりあって成立するという社会的な側面をもっているからこそおもしろい時があります。
もちろん、いつもおもしろい訳ではないのは私も同じ立場ですという言い訳も聞いておいてください(笑
どういう人を評価するのか?
人を評価するというのは本当に難しいです。
例えば、自分が社員から高評価を得ようと思うといろんなパターンが考えられます。
リーダーシップがある)とか言っていることがぶれない。おもしろい。良い仕事をする。教えてくれる。優しい。厳しい。渋いとか。
(すべて願望&妄想)
ただ、いろーんな要素があると思いますが集約すると、給料を遅配しないことが一番大事な評価なんじゃないかと思ったりします。
社員全員一様に配慮をすることができないし、距離感として近すぎてもいけない。かといって、離れすぎてもいけない。
など定性的な状態であれこれ考えるよりも、給料を遅配しないという状態が一番の落とし所のように思います。
翻って、自分がどういう社員を評価をするかといえば、上述したことと同じよう一定の落とし所がある人を評価するように思います。
それは、目標を達成できる人です。
例えば、すごくまじめで頑張って目標が達成できない人がいるとしましょう。
このタイプの人の評価が本当に難しい。
というか、心苦しい。
この人ができるようにアドバイスをがんばる。もしくは適正を考慮して配置を考える。
など別のマネジメント手法が検討できる場合の話ではなく、純粋な状態としてがんばって目標を達成できない人というものを考えたとき難しいです。
人よりも遅くまでがんばってやっているのにできない。
なのに評価してくれない。
こういう声が出てきたとき、マネジメントとしてはこの善意を否定しないといけないから余計に心苦しい。
このタイプの人はある意味”努力”という名の”時間”を費やせばOKと思っているタイプです。
また、自分のやり方に固執しすぎる(変化に適応することが難しい)タイプなのかもしれません。
時間というのは等しく有限というのが聞いたことがあると思います。
我々組織人は
人×時間×モノ×お金=成果
を会社という仕組みを使って生み出す集団なので、この時間を使うだけ使って成果が出ないとなるとやはり高い評価をできないものです。
サボりながら成果を出す、もしくは頑張って成果を出す。これはタイプの違いなので自分はどちらも高めの評価します。
好みとしてはおもしろがりながら成果を出すという人がすごく好きです。
なので、”努力”というキーワードに安易に逃げたりしないようにしてほしいなと思います。
長くなりましたが、冒頭では”未熟”というキーワードに逃げた私からの入社に対する感謝と期待のことばでした。
これからよろしくお願いいたします。