多様性について考えてみた
久しぶりのブログ更新ですが、今日も日記っぽく雑に書き散らします。
最近、出張をしたり色んな人と話しをすることで「多様性」という言葉がチラホラ頭をよぎります。 そこで「多様性」という言葉についても色んな側面があるなと思い書き綴っておこうかと思います。
2~3年前からよく見られる「多様性」というキーワード
前提として私は「多様性」という言葉は新しい気付きや成長をしていく過程で必ず必要な環境だと思っています。
自分の娘が通う幼稚園でも「多様性」を重視したところにお世話になっております。
ただ、たまに多様性ということばには、抗いようのない正当性みたいなものを感じる時があり、そこには少し注意しないとなと思ったのでつらつらと。
多様性の種類
多様性は大きく2つのグループにわけられる。 (2014/09/22付の日経新聞より)
- 人的資本の多様性
- 属性についての多様性
人的資本はの多様性は教育やスキルといったいわゆる人的資本 一方、属性についての多様性は民族、年齢、性別など。
特徴として人的資本の多様性に比べ、高いコミュニケーションコストや信頼・結びつきの弱さが交換を妨げる要因になる。
我々が話している多様性とは
卑近な自分のまわりだけの話しかもしれないが、友人・知人と多様性について話すとき、どうも上記でいうところの人的資本についての多様性がベースとなって話されているような感覚に陥るときがある。
そりゃ、異なるバックボーンを持った(優秀な)スキルを持った人がお互いの価値観を認め合いながら、よりよい目的や結果を目指していける環境や目標が持てればいうことはないと思います。
ただ、海外へ出張したときのいわゆる危険エリアに近づいたときの、外国人たちと腹を割ってわかりあうにはかなりのスキルとコミュニケーションコストも必要なわけであります。 これは極端な例というのはわかっていますが、我々仕事人の環境に置き換えてもそれに近いことが起きるなと。
たぶん、このあたりはあまり突き詰めないほうが良い。
多様性というのは、実務や実環境として、そのことについて是か否かで検討するとよくない結果しか待っていないように思う。
結局、多様性というどちらかといえば”正しい”と思われる価値観でさえ、コストと利益の2つが存在することを念頭においておかないとなと思った次第であります。
最近はあたりまえですけど、バランスと選択という言葉に悩まされる毎日であります。 次はもうちょっと誰かの役に立つ記事がかければ(難